旦那さんから「好きなことをする、それが大事」と再三言われている私なのですが、いまだに好きなことがわかりません。
夫はこんな人
夫は好きなことが比較的はっきりしているタイプで、そこに関してのお金と時間を惜しむことなく、つぎ込むタイプの人です。
例えば、夫は映画が好きなのですが、好きな映画はDVDで手元に持っておきたいコレクター体質なので、家はこんなことになっています。
※氷山の一角。凝り性なのもあり、監督ごとに分かれている。レンタルビデオ屋でバイトをしていた時の名残りで、定期的にDVDを右から左に受け流す作業が行われ、たまに配置が変わる。
最近は、かねてからずっと言っている「映像作品を作りたい」という目的に向けて、撮影機材が連日届き、「どんな絵が撮りたいか」の研究も欠かすことなく映画を大量に見てスマホでシーンの写真を撮り、さらには「こういう絵を撮るために」とインテリアまでググり続ける日々を送っています。
※帰宅すると照明機材が広げられていた日。これを求めて撮影に来る人もいる。
夫の興味関心の高いカウンセラーの勉強は誠にすごい状況で、連日のように本が届き、そのたびに「これは勉強になる!」と嬉々として読書にも励んでいます。
本が大量にあるので、新しい本棚が導入されたりします。
好きなことは消費から生まれてくる?
はじめはどんどんお金も時間もつぎ込む彼の姿が理解しがたいものでしたが、だんだんとご機嫌に過ごしている彼を見ていると「こういうのが人生?」と思えてきます。
夫の価値観が「好きなことをして楽しく過ごすのが幸せ」なので、私が将来の不安(主にお金)を訴えたりすると「好きなことをしていれば、その不安はなくなる」と説得されてきました。
確かにその通りで、将来が不安だからといって今を節制しても、節制したなりの将来しか出てこないんだと思う。
「これは面白い!」と思ったことを実行し続けたり、コレクトしたりするのに必要なのはお支払いです。
一部お金をかけずにできることもあるけど、どこかのタイミングで小さいなりにも出費って出てくる。
「楽しいこと」「好きなこと」ってやらなくても問題なかったりするから、変なケチ根性で「お金かかるからやめておこう」と私は比較的あきらめ気味の選択をしてきました。
ところが
その惜しんだお金は、何か未来を変えるわけでもなく、ただ今日と同じような未来を生む可能性の方が大きいんだよなあ、、、ということが最近わかってきました。
ハードルは低く、コツコツと続けていくことが大事
次の誕生日で31歳になる私ですが、30年ばかり生きてきても、自分が好きなことがよくわかりません。
Siri「すみません、よくわかりません」
Siriでも同じことが言えるので、ここで止まっている場合ではありません。
夫を見ていて気付いたことがあります。
彼は非常に低いハードルから、かなりコツコツと継続しています。
積み重ねがすごいのです。
(ちなみに、彼はインターネトは全然やらないのでインフルエンサーの影響を全く受けていませんw)
最近よく言っているのは「できることからすりゃいい」「習慣が一番強いってわかっちゃった」「数字で目標を立てない方がいい」です。
そんな風にいい方向の洗脳を受けているので、こんなブログを作ったりしてみました。
びっくりするくらい私にとってハードルの低い形式で、過度に疲れることもなく、それでいてほどほどに楽しいフォーマットを見つけた手ごたえはあります。
「やっぱりこうした方がいいよな」みたいなことをやってみるとわかる。
目標を立てていないので何も起きていませんが、気分はいいものです。
「好きなことをすりゃいいんだよ」と言われ続けて私なりにわかったこと
「好きなことをしなよ」「好きにしなよ」と夫と出会ってからずっと言われ続けています。かれこれ5年くらいか…。
現時点で私がわかったことは
- 好きなことや興味があることをするにはお金はかかるものである
- お金を惜しんだところで、一括で莫大な資金がかかることはまずない
- 最初から成果を狙うと詰む
- ハードルを低くして適切な形に落とし込むと実行できる
- やってみたいことを実行すると楽しく過ごせる
非常に当たり前のことですw
まだまだわからないことだらけだけど、ご機嫌なおばさんになれるように過ごしていきたいな。
おわり